「ラプラスの魔」 因果律決定論の誤謬

ラプラスの魔

ピエール=シモン・ラプラスという大天才が昔いました。
彼はニュートン古典力学を駆使して、現在の宇宙力学や天文学、確率論の整理を行い、基礎を築いたことでも知られています。ロンドンの王立協会会員という、18世紀から19世紀初頭にかけての最高の頭脳を集めた集団の一員でもありました。
ラプラス方程式や、ベイズ分布の基礎を確立するなど、彼の功績無くしては現代数学や物理学、統計学は語れないと言っても過言ではないと思います。
ちなみにベイズ分布は現代社会を読み解く上で、極めて重要である事です。例えば、日本人の預金残高を高い方から低い方に並べると、見事なベイズ分布になります。
このように社会現象を読み解く上で、ベイズ分布を前提にすることは重要な視点なのです。

 

そのような大天才ラプラス氏なのですが、流石に勇足がすぎたのがこれです。

 

「ラプラスの魔(悪魔)」

 

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつ、もしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。— 『確率の解析的理論』1812年
「ラプラスの魔」として知られるこれは、ニュートン的古典物理学で全てが解決できるとの万能感を持った人間の傲慢としか言いようが無いが、当時の知識階級には普遍的感覚だったのかもしれない。所謂「神的な霊の存在」です。
これは、社会主義や共産主義の指導者の無謬性を是とする全体主義の匂いがするようにも思う。要するに社会主義や共産主義は、古典物理学的だということです。

 

この後量子力学や、相対性理論の展開によって、図らずも「ラプラスの魔」は否定されました。因果律決定論の否定です。

 

ですが未来は揺れ動きながらも、因果律的「構造」は存在するというのが私の立場です。因果律的決定論は取らないし、それは不毛だと思っています。
しかしながら因果律的に「構造」が嵌っていく事も、人間長く生きていると眼前の事実として横たわっています。

 

先日も書いたが”因果律的「構造」論”を持ってすると、出発地点(生まれた環境)と、終点(その生を終える環境)は決まっています。そうだとしても、その工程は生き様として決まっていなません。
その生き様を決める要素が、日々の行動です。

 

「吉凶悔吝生動」 吉も凶も悔やみも極端なケチも、動くことから生じます。

 

すなわち私たち一人一人の生き様、その時との時の選択によっては状況が変わります。それこそが環境と個別の生がぶつかり合う場としての「今」であり、時間はそこに生じるのです。

 

そう生きているという時間は、「生」そのもの、その時という「場」に他なりません。その「場」での選択が生き様なのだと思います。「場面」とは、良く言ったものです。
日本語の表現、特に漢字表現は実に奥が深いのです。

 

 

 

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