「老」と言う「構造」

人は生まれたからには、「死」に向かって一直線に向かっていきます。

"Yemeni Elder (in explore)" by Rod Waddington is licensed under CC BY-SA 2.0

 

家族における構造シリーズの最後を飾るのは、「老」です。
人は生まれたからには、「死」に向かって一直線に向かっていきます。
「生」とは「死」に向かう出発点に過ぎない。

 

その「死」に向かって行く「構造」に対して、何くそ!と言う気持ちを投げつけるのが、「投企」です。「投企」こそが、その人の人生なのです。

 

さてその「死」に向かう道程において、古代中国では下記の様に記しています。所謂「十二運」ですが、「生旺墓絶」とも言います。昔流行った「動物占い」がこれです。もっとも「動物占い」は、無意識の状態を判断する「六十花甲子」の見せ方を工夫したものですが、見せ方が上手です。

 

長生 少年少女のとき
沐浴 大人になる一歩手前、中二病のとき
冠帯 大人になったとき
建禄 一人前の大人に成長したとき
帝旺 第一人者として采配を振るうとき
衰  第一人者を退き、後継者を見守るとき
病  病がちになったとき
死  死んだとき
墓  墓に入ったとき
絶  地上から離れた存在になったとき
胎  再び胎児として帰ってきたとき
養  幼児のとき

 

上記の様にそれぞれのエネルギーの状態を「とき」として捉えた概念で、大運と歳運でこれらの十二運が巡ります。

 

さて「老」はこの中で、「衰」「病」にあたります。
若くして死ななければ、誰でもが経験することになる状態です。

 

この「老」においても健康寿命の一部として送る人もいれば、寝たきりや、若年性痴呆症、老人性痴呆症と進行し、自分の周りが理解できない状態になる人が出ます。昔は「恍惚の人」とも言いましたか。

 

誰しもがこの「老」において健康寿命として全うしたいと思うでしょう。
所謂「ピンピンコロリ」です。

 

残念ながら全ての人が「ピンピンコロリ」できるわけではありません。
私も両親を看取っていますが、他の人も含めて様々です。

 

この「老」の課題は、「親の老」の問題と、「自分自身の老」、「家族の老」の問題に分かれます。
どれも深刻です。全てが「ピンピンコロリ」だったとしても、老後のお金、相続など、様々な課題が待ち受けます。
自分のエネルギーが枯渇しているときに、様々な問題が行手を遮るのです。

 

何歳でどの様に死ぬのかについても、古代中国の文献は述べています。
極力ソフトランディングさせるために、どうするべきかも述べています。
「自分の親」がどうなるのか。
「自分の老」はどの様にすれば、「ピンピンコロリ」に近づくのか。
「家族の老」はどの様になるのか。

 

折角、古代中国の人たちが補助線を引いてくれているのですから、一度見てみない手はありません。何度も言いますが、これらは自分の人生を紐解く為の補助線です。幾何学の問題を解くときに、補助線を使いましたよね?
あれです。補助線があれば、訳のわからない問題の解法が見えてくる。
自分の今後の生き方のヒントが出てくる可能性は高いです。

 

「見たくない現実ほど、見なければリスクとして襲いかかってくる。」

 

「老」と言う構造は、個人のリスクマネジメントとして一度見ておくべきだ。
私はそう思うのです。

 

 

 

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