認知の問題

認知の問題

「認知(にんち)とは、心理学などで、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。」

認知の問題

「認知(にんち)とは、心理学などで、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。」

"procesos cognitivos / cognitive processes" by bachmont is licensed under CC BY 2.0

 

「認知の問題」と書くと婚外子の認知かって言われそうですが、そうではありません。(この記事を書いている時は、芸能人の不倫話題が真っ盛り)

 

WikiPediaによると
「認知(にんち)とは、心理学などで、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。」とのことです。

 

私は学生時代に「空間の認知」を研究対象にし、特に真ん中に大きな川が流れているある盆地の川の両岸と上流下流(東西南北になります)で、住人がその盆地の形状をどの様に認知しており、それが経済活動にどの様な影響を及ぼしているのかという事を調べていた時期があります。
当時早過ぎたのか「そんなの当たり前だ」とか、「そんな心理学みたいな事は、名誉教授になってからすれば良い」とか評価は散々でした。

 

ところが人の行動は、その航空写真的地図では説明がつかない経済行動を取りがちです。それは人々の経済活動が、「認知している地図」=個々人の持つ「認知地図」によって行動しているからだと考え、調査の一環としてその盆地の形と主要都市の位置を書いてもらったのです。

 

対象者はその地区でそれなりの地位を持っている人と限定して調査したのですが、これが見事に東西南北で全く異なる認識を持っていました。
その結果”個々人の「認知地図」が、行動範囲や経済活動をある一定範囲に限定させてきた。””その行動範囲から更にその個々人の「認知地図」が強化され、更に行動に制約を与える”という事を仮説として提示しました。
いわゆる認知的不協和の課題です。
人は自分が「こうだと思い込んでいる事」=「認知」と異なる事象を提示されたときに、「理解できない」ので、「拒否」しようとします。
この認知的不協和が経済活動という生活を制約するキーファクタなのですが、当時いた教室では理解していただけなかった様です。

 

結局「大学院には来なくてよろしい」と言われたので、その研究を続けていません。今となっては良い学際研究だったのに、ちょっと残念です。

 

ところで現実世界と、個々人がこうであると思い込んでいる「認知」は異なります。この歪みが特に大きい人は、一時期話題になった宮口幸治さんの「ケーキの切れない非行少年たち」でも解説されている様に、社会的に不適合な行動を取りがちになります。

 

実は「社会的認知」に課題を抱える可能性が高い人は、ある指標を使うとかなり高い確率で抽出でき、早期対処が有効なのですが、ここではお話ししません。

一言で言うと”「薄いガラスの心」を持っている人の抽出”なのですが、その方面の研究者の方であれば、あの指標を使うのだなと察しがつくと思います。

 

この「認知能力」と「認知の歪み」、簡単に言えば「思い込みの激しさ」が激しい人ほど、リスクマネジメントが大変です。いや、ご本人でリスクマネジメントするのは、なんらかの訓練がない限りほぼ不可能でしょう。
昔の大物芸人さんは何か犯罪めいた事をしても、「芸の肥やし」と許されてきたのですが、平成を超え令和の時代には些細なことも許されません。
「良心」に従って生きるのが良いと言われますが、「認知の歪み」が大きい人は、その「良心」さえ社会的問題行動の種になりかねないのです。

 

誰のことかって?そこは皆さんの「認知」にお任せします。
お後がよろしい様で。