「情報リテラシー」って、なんだ?

情報リテラシーとは、「情報を主体的に責任を持って使いこなす能力」

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「情報リテラシー」という言葉があります。
私のnoteには毎度登場、おなじみWiKiPediaにはこうあります。

 

「情報リテラシー(じょうほうリテラシー、information literacy)とは、情報 (information)と識字 (literacy) を合わせた言葉で、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のことである。「情報活用能力」や「情報活用力」とも表現するが、文部科学省が定義する「情報活用能力」とは意味合いが異なる。また、"情報=IT"との連想やインターネットの利用時において情報リテラシーが要求される等の理由から、しばしばコンピュータ・リテラシーと混同される。しかし、以下に定義されるように、本来必ずしもコンピュータと直結するものではなく、情報モラルと大きく同じ意味だと認識されている。」

 

なんだか大層な定義です。
要するに「情報を主体的に責任を持って使いこなす能力」ということでしょう。

 

さてこうはいうものの、情報を使いこなすって実は相当な能力です。
1)情報は元々分析する対象なので、統計や分析に関する素養
2)情報の真偽、粒度、ニュースソースの信頼度、一次情報は何でそこにアクセス可能か
3)「キナ臭さ」を直観できる動物的な感
4)すぐに判断しない度量
5)専門分野でない場合は、専門家に聞くまで判断しないモラトリアム性

 

上記の様なものが備わって、初めて「情報を主体的に責任を持って使いこなす」ことができる様に思うのです。どうでしょうか?

 

我々は凡人です。
凡人に「情報リテラシー」なんて高尚なものがあるわけがありません。
ではどの様にすれば、少し「情報リテラシー」に近づけるのでしょうか?

 

これもあうんの岡本先生曰く、
「専門家でない領域は、知らないことは知らないとして保留しなさい。その後で”常識”に従って、ゆっくり判断しなさい。」と教えられています。

 

我々は凡人です。
凡人だから、すぐに判断して囚われてしまう「大衆」になりがちです。
群れを作るとやられます。
戦場と同じです。

 

「常識」というつまらなく面白くないものが、最高の知恵なのだと岡本先生は言います。(もとい!私にはそう聞こえます。)
私も一応弟子の末席にいますので、師匠のいうことは「絶対」です。

 

私たちは、凡人です。でも、常識を使うことで「偉大な凡人」にはなれると思うのです。

 

 

 

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