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ウインドラボ物語



私は、ウインドラボのエバンジェリスト。佐藤 浩義です。

ここでは、私がウインドラボを設立したきっかけと、今までの状況を淡々と
お話したいと思っています。



第四話 物語の始まり

このように私は日中、サラリーマンをしている。
今までお話してきたように、コンピューター関連の営業が、私の役割だ。
基本的にお客様の困っていること(課題)を聞いて、背景を探り、背景とその
周りへの影響を考えながら、仕組み(システムという)の提案をするのが仕事
になる。

一般的ではないかもしれないが、ソリューション・スペシャリスト(解決策
提案の専門家)と言われる職種だ。純然たる営業と、純然たる技術者(シス
テムズ・エンジニアと呼ばれる人種)の架け橋となる人だ。会社によっては、
営業技術と言う場合もある。

実体は、コンピューターシステム(ハードウェアと言われる金物と、内部で
動作を決める、ソフトウェア(プログラム)というものを組み合わせ)で、
お客様の課題解決をする提案をするという類の役割だ。

お客様とどこまで腹を割った相談ができるかで、いい提案ができ、契約できる
かが決まる。

このような物語を書き始めるきっかけは、こちらのプロフィールにあるよう
に(http://www.windlab.net/who.html)、ある年の5月の連休初日、一緒に
なってあるシステムを立ち上げたお客様から、一本の不幸の電話があった事
だ。

ジリリリリリリリリィ・・・・
「XXXXシステムが使用できない・・・」
「え?」

私はしばらく、考え込んだ。30秒も無かったと思うが、こういうときの頭の回
転は異様に速い。矢継ぎ早に質問を繰り出して、現象を把握しようとした。

具体的な現象は?
ネットワークの状態は?
ローカルではアクセスできる?
XXXXシステムの右真ん中のオレンジ色のランプは、点いていますか?
リブート(再起動)は試みてみましたか?
残してある運用マニュアルのチェック項目をやってみてほしい。

結論から言えば、全て実施済みで解決しないと言う事だった。
「仕方がない・・・。ちょっと行って見て来るよ。わるいな。」正直、家族で
出かける予定があったので、行きたくなかった。

こういう場合は、現地で機械の顔やLAN機器の顔を見ないと判断できない事
が多い。

医者が問診するようなものだ。聴診器の代わりが自分のノートパソコン、
顔色や検査結果を見て、診断を下し、処方する。場合によっては、その場で
外科的な手術をすることもある。

この場合、行って見たが、ハードウェアトラブルではなかった。ハードウェア
トラブルなら、対処が楽なのだ。ネットワークもチェックしてみたが、これと
言って課題はない。

「なんなんだ?何が起こっているんだ?」「内部の設定でも変えたのか?」

課題がおきそうな部分で、直近で内部を変更した形跡はない。
こういう時は、お客様に「何か変えました?」なんて聞いても無駄だ。
そういう無駄な質問は、大体原因を掴んでからした方が良いことが多い。

そうこうしている内に、時間だけが過ぎていく。連休中なので、誰にも連絡が
付かないのだ。この瞬間に、「連休中で誰も捕まらない。助けてくれそうな人
はいない。所詮会社組織はそういうものか!」という思いが頭を駆け巡った。

お客様からは、「連休中に修復できないと、会社間の問題として取り上げざる
を得ない。」

と、申し渡された。いわゆる「最後通告」だ。

「助けてくれる組織など存在しない。結局問われているのは、個人の能力だ。」
「所詮会社なんて、自己実現の場にはなりえない。」
そう思ったとたん。自分の人生について考え始めていた。

結局この問題は、個人的なつながりで10年来の友人の協力を得て、問題は連
休中に修復できた。それも私が会社から要らないと言われた、システムズ・エ
ンジニアという背景を持っていたからできたことだった。会社の言う事、求め
る事と全然関係が無い訳だ。

「そもそも、私の生まれてきた意味は何だったのだろうか?」

そう考え出したとたん、ロバート・キヨサキ氏や神田先生の本を、貪る様に読
んでいる自分を見つけていた。

「そうか・・・私はこのために生まれたのかもしれない。いや、きっとそうだ!」

いままでやりたくても怖くてできなかったこと。自分の足で経済的に自立する
事。そして、自分の得意な事で人々に喜んでもらえたら最高じゃないか!

それまで、独立して自分の船に帆を上げて出て行く知人をうらやましく見つめ
ていた自分。

「自分の帆を上げて出て行くときが来たのか・・・」「Start Small!」キヨサ
キ氏の言葉が頭から離れない。そんな日々がやってきた。



第四話 終わり